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 突然ですが、私は「自由な人間」だと思っていました。考え方も自由で家にも縛られず、自由に生きてきたと思っていました。でも、自分の子どもが不登校になってから、

 突然ですが、私は「自由な人間」だと思っていました。考え方も自由で家にも縛られず、自由に生きてきたと思っていました。でも、自分の子どもが不登校になってから、本当は不自由な人間なのだと気付いてしまったんです。北澤先生のお話をお聞きすると、不登校の子の家庭はとってもいい家庭だといって下さいます。それはきっと、カウンセラーという立場から、相手を受け入れてくださる、とっても優しい言葉だと思っています。でも全てではないにしろ、家庭や母親が影響しているということを、心の隅の方で気付いています。私自身の考え方や生き方が子どもに影響するのは、やっぱりどう考えてみてもあたりまえですよね。

 子どもが小学生だった頃、小さいながらも家の仕事を受け持つと言う掟を作っていました。風呂洗いだったり、玄関掃除だったり、食器片付けだったりです。お母さんがその家の権限を持って子どもを管理している様でした。こうあらねばならないといった理想の形を押付けていました。風呂洗いのお手伝いをさせたから不登校になったというのではなくて、相手の気持ちも考えずに押付けていたということです。理想の子ども像から外れるとえらく不安になりました。

 そんな自分に気付き、自分の見たくない部分を見ることが出来たのは、子どもが不登校になったからですし、親の会に参加したからです。親の会に参加するのはちょっときついこともあります。それは自分の不自由な部分を見つけてしまうからです。普段は無意識の内に隠されている親のエゴを見つけてしまいます。ずいぶん勝手な親の思い込みで子どもを縛っていたのだなあと気付きます。決して他のお母さんが「あなたがいけないからよ」と決めてかかるのではありません。そんなことはほとんどなくて、じっと聞いてくれる間合いから、自分自身で気付くといったらいいでしょうか。

 登校拒否に縁があるということは、1つづつ目覚めていく過程をとります。なり始めの時から、1年たって、2年たって、・・・・。常識を打ち破るのに、母はとっても苦労します。だって、今まで生きてきた自分を省みる作業ですから、とっても苦しいのです。でも子どもの苦しさに比べたらチクッとした痛みくらいかもしれません。少し時間のたった母は、ちょっと前の自分と似ている隣のお母さんに気付きます。少し前の自分がそこにいるようで、とっても辛いです。言いたいけれど、言えない。そんなこんなで悩みます。また、もうすっかり子どもが元気になったお母さんもいます。そんな時はいつか家の子もきっと元気になる、とうれしい気持ちになります。目覚めの旅は終わることがなくて、現在も進行中です。

 親の会に参加するのは、また子どもサポートプランに関わるのは、がんじがらめの不自由な自分を発見するため。それが自分自身のためにも、そして子どものためにも、きっといい事だと思っています。