若者の声
『A子さんのお話』03年10月16日フォーラムより2004年02月24日
Category: 若者の声
投稿:/
去る10月19日(日)に伊那合同庁舎にて「子どもサポートプラン上伊那地域ネットワークフォーラム」が開催されました。160名余りの方々のご参加を頂き、密度の濃いフォーラムとなりました。
その中でお二人の若者に 不登校経験を語って頂きました。お二人の言葉は参加者一人ひとりの心に深く残るものだったと思います。ここでは、そのなかからお一人の方の体験談をご紹介します。
心の内を語って下さったお二人に心から感謝するものです。
私は高校二年生の時にどうしても学校に行けなくなりました。人の目や他人から自分がどう思われているのかとても怖くて、ささいな事でもすごく気になりました。
あと、勉強にとても追いつめられてしまい、授業中、自分が理解できない事があると、とても不安になったり、先生から指名されるのがひどく怖かったです。机に座って授業を受ける事が辛くてできず、それに加えてクラスメイトや友達の目がとても気になって怖くて学校へ行けなくなりました。それに当時は拒食にもなっていました。
学校へ行かなくなってから、今度は「学校へ行っていない」という罪悪感に襲われました。本当は学校へ行ってみんなと同じように授業を受けて普通に卒業できたらどんなにいいか…と感じました。でも心の中ではそう思っても、どうしても学校へ行く事ができませんでした。そんな自分がとてもみじめでした。悲しくて辛くてどうしようもなかったです。あと、学校に行かなくなった自分を周囲の人はどんな風にみているのだろう…と考えて「怠けているのではないか」とか「だらしがない」という風に思われているんだろうなと思ってとても辛かったです。うまく言い表せませんが、とにかく辛くてどうしようもなかったです。何に対しても気力が湧かず集中力もなくて、テレビも見れませんでした。一日中泣いて暮らしていました。寂しくて、一人で家に居る事ができなくて、母には仕事を辞めてもらい一緒に家に居てもらいました。人が怖くて思うように外へも出られないし、電話の音やチャイムにもビクビクしました。とにかく辛くて一日一日がとても長かったです。
今思うと、私は幼い頃から敏感な子でした。保育園で先生に言われたり、された嫌な事や、小学校や中学校での出来事などはいちいち覚えています。明らかに先生が悪い事をした時の事も覚えていますが、そういう事は誰にも言えませんでした。誰にも言ってはいけない事だと思いました。親にも言えませんでした。親が先生に苦情を言ったりするのが怖かったんだと思います。今なら言えますが当時は言えませんでした。学校に行けなくなってから、そんな自分の胸の中にとどめておいた過去にすごくとらわれました。今までたまっていた不平、不満が爆発して、今まで言えなかった事をよく母親に話しました。特に私にとっては小学生時代がとても辛かったので、小学校の時の先生や友達に対しての愚痴を沢山言いました。特に担任の先生に対してはものすごい恨みを持っていて、先生の文句もいっぱい言いました。当時の事を想うと辛くていっぱいいっぱい泣きました。文集も全部捨てました。それでも辛くて苦しく、どうしてあの時、ああいう風にしなかったんだろう…と後悔ばかりしてました。 私は自分の気持ちより、人からどう思われるか、という事ばかりを考えて生きてきた気がします。服装にしてもクラスメイトから文句を言われないように地味目のものを選んで着ていたりしました。でも本当は自分のしたい格好がしたくて、でも人にいろいろ言われるのが嫌で、自分でも自分自身の事を「嫌だな」と思いながら過ごしていました。嫌な事を「イヤ」と、友達にも言えず自分の本当の気持ちを抑えて生きてきました。先生に対してもよくみてもらいたい気持ちから、いわゆるいい子の「優等生」を演じてきたんだと思います。勉強に関しては小学生の時の「完璧主義的」な先生の影響を受けて、しっかりやらなければいけないという強迫観念みたいなものにかられていました。それに堪えきれなくなったのが高2の時でした。学校に行けれなくなってから、同級生達の方が進学して就職、結婚…と、スムーズに人生を歩んで、自分ひとりがおいてかれているような気がして、とても辛かったです。今でも「人は人、自分は自分」と言いきかせていますが、辛くなる時もあります。誕生日を迎える度に落ち込んで焦ります。どうしようもなく辛くて消えたくなる時もあるし、友達やまわりの人がうらやましくてたまらなくなる時もあります。
ただ自分が学校へ行けれなくなってわかった事もあります。小学校四年の時、同じクラスで家も近くの女の子が学校へ来れなくなってしまった事がありました。私はその女の子といつも一緒に行動していて、一見仲が良いようにみられてましたが、実は私はその女の子から個人的にいじめられてました。その子が学校へ来なくなってから私は担任の先生に頼まれて、学校に行く前と、学校から帰ってきた後にその女の子の家へ毎日通って遊ぶという生活をしました。初めは穏やかだった女の子もだんだん私に意地悪をするようになりました。多分当たり前のように学校へ通っている私の事がうらやましかったんだと思います。今ではその女の子の気持ちがわかりますが、その時は分からなかったし、毎日いじめられに行っているようなものだったので辛かったです。最終的には私が辛い想いをしている事を先生にうち明けて、その子の家に通わなくていい事になりましたが、この出来事に私はとても傷つきました。その女の子は小五から学校に通えるようになりましたが、クラスのボス的存在になり、次々と集団でイジメをするようになりました。私もいじめられて、これは本当に辛かったです。この事があってから私は、いじめられないようにますます自分の気持ちより他人の気持ちを優先して行動するようになりました。不登校の子の家に毎日、クラスメイトが通うというのは問題があると思います。中学生の時も不登校の子はいました。たまたま同じ班の女の子だったため、友達数人と手紙を書いたりしました。でも私が不登校になって、実際に友達から手紙を受け取った時は、善意とわかっていてもとても辛かったです。今でも一番後悔している事が、中三の卒業式の当日の朝、クラスメイト数人と学校に来ない女の子に「一緒に卒業式に出ようよ。」と電話した事です。これも担任の先生に頼まれてやった事ですが、今考えるとすごく残酷な事をしてしまったと、ものすごく申し訳ないです。その女の子は卒業式も欠席でした。その当時は不登校の子の気持ちがわかりませんでしたが、自分が体験してやっとわかりました。
学校へ行かなくなってから、ものすごく辛くて色々考えて悩みました。いっぱい泣いていっぱい苦しみました。すごく大変な思いをしてきましたが、その大変な思いをした分、身についているんではないかと感じます。「心の豊かさ」とでも言うのでしょうか。勉強よりも大切な内面的な部分、人間性なんかは学校へ行かなくなってから沢山学べた気がします。人の温かさや、優しさ、何気ない言葉やちょっとした気遣いなんかですごく心があたたまるという事を身を持って学べました。人が怖くて外に出られなくなって、おびえていた私ですが、なんだかんだ言っても人が好きなんだと思います。
先日同級生が赤ちゃんを産みました。その赤ちゃんを抱かせてもらった時、ふと思いました。道は人それぞれ。同じ年でも早くに結婚してお母さんになる人もいれば、就職して働いている子もいるし、私のようなのもいる。みんなそれぞれの道を歩いているんだな…と感じました。考えてみれば人間なんてみんな違って当たり前。私のようなのも居ていいんだなと思います。最近想うのが、もしも私が学校に普通に通っていたら今通っているフリースクールで知り合った先生や友達、のぞみ学園で会った人や病院の先生や看護婦さん達に出会ったりする事はなかったんだろうな、という事です。そう考えるととても不思議な気がします。人と人とのつながりとは不思議なものです。
いろいろと悩みましたが“人生なるようにしかならないな…”というのが私の結論です。そう思いながらこれからも悩みながら生きていくんだと思います。
今はフリースクールに少し通って少し勉強しながら、少しバイトもしています。まだ勉強も思うようにできないので少しずつです。バイトはパン屋でやっています。バイト先に子供の時に私にとって嫌な思い出のある同級生や、その親がくるとドキッとしたりします。ささいな事にも動揺してしまったりもします。同級生の元気な子をみると落ち込んだりもします。こうやって色々思いながらも悩みながら生きていくんだと思います。
わたしの話を聞いてくれてありがとうございました。
2003年10月19日 サポートプラン上伊那フォーラムより
去る10月19日(日)に伊那合同庁舎にて「子どもサポートプラン上伊那地域ネットワークフォーラム」が開催されました。160名余りの方々のご参加を頂き、密度の濃いフォーラムとなりました。
その中でお二人の若者に 不登校経験を語って頂きました。お二人の言葉は参加者一人ひとりの心に深く残るものだったと思います。ここでは、そのなかからお一人の方の体験談をご紹介します。
心の内を語って下さったお二人に心から感謝するものです。
私は高校二年生の時にどうしても学校に行けなくなりました。人の目や他人から自分がどう思われているのかとても怖くて、ささいな事でもすごく気になりました。
あと、勉強にとても追いつめられてしまい、授業中、自分が理解できない事があると、とても不安になったり、先生から指名されるのがひどく怖かったです。机に座って授業を受ける事が辛くてできず、それに加えてクラスメイトや友達の目がとても気になって怖くて学校へ行けなくなりました。それに当時は拒食にもなっていました。
学校へ行かなくなってから、今度は「学校へ行っていない」という罪悪感に襲われました。本当は学校へ行ってみんなと同じように授業を受けて普通に卒業できたらどんなにいいか…と感じました。でも心の中ではそう思っても、どうしても学校へ行く事ができませんでした。そんな自分がとてもみじめでした。悲しくて辛くてどうしようもなかったです。あと、学校に行かなくなった自分を周囲の人はどんな風にみているのだろう…と考えて「怠けているのではないか」とか「だらしがない」という風に思われているんだろうなと思ってとても辛かったです。うまく言い表せませんが、とにかく辛くてどうしようもなかったです。何に対しても気力が湧かず集中力もなくて、テレビも見れませんでした。一日中泣いて暮らしていました。寂しくて、一人で家に居る事ができなくて、母には仕事を辞めてもらい一緒に家に居てもらいました。人が怖くて思うように外へも出られないし、電話の音やチャイムにもビクビクしました。とにかく辛くて一日一日がとても長かったです。
今思うと、私は幼い頃から敏感な子でした。保育園で先生に言われたり、された嫌な事や、小学校や中学校での出来事などはいちいち覚えています。明らかに先生が悪い事をした時の事も覚えていますが、そういう事は誰にも言えませんでした。誰にも言ってはいけない事だと思いました。親にも言えませんでした。親が先生に苦情を言ったりするのが怖かったんだと思います。今なら言えますが当時は言えませんでした。学校に行けなくなってから、そんな自分の胸の中にとどめておいた過去にすごくとらわれました。今までたまっていた不平、不満が爆発して、今まで言えなかった事をよく母親に話しました。特に私にとっては小学生時代がとても辛かったので、小学校の時の先生や友達に対しての愚痴を沢山言いました。特に担任の先生に対してはものすごい恨みを持っていて、先生の文句もいっぱい言いました。当時の事を想うと辛くていっぱいいっぱい泣きました。文集も全部捨てました。それでも辛くて苦しく、どうしてあの時、ああいう風にしなかったんだろう…と後悔ばかりしてました。 私は自分の気持ちより、人からどう思われるか、という事ばかりを考えて生きてきた気がします。服装にしてもクラスメイトから文句を言われないように地味目のものを選んで着ていたりしました。でも本当は自分のしたい格好がしたくて、でも人にいろいろ言われるのが嫌で、自分でも自分自身の事を「嫌だな」と思いながら過ごしていました。嫌な事を「イヤ」と、友達にも言えず自分の本当の気持ちを抑えて生きてきました。先生に対してもよくみてもらいたい気持ちから、いわゆるいい子の「優等生」を演じてきたんだと思います。勉強に関しては小学生の時の「完璧主義的」な先生の影響を受けて、しっかりやらなければいけないという強迫観念みたいなものにかられていました。それに堪えきれなくなったのが高2の時でした。学校に行けれなくなってから、同級生達の方が進学して就職、結婚…と、スムーズに人生を歩んで、自分ひとりがおいてかれているような気がして、とても辛かったです。今でも「人は人、自分は自分」と言いきかせていますが、辛くなる時もあります。誕生日を迎える度に落ち込んで焦ります。どうしようもなく辛くて消えたくなる時もあるし、友達やまわりの人がうらやましくてたまらなくなる時もあります。
ただ自分が学校へ行けれなくなってわかった事もあります。小学校四年の時、同じクラスで家も近くの女の子が学校へ来れなくなってしまった事がありました。私はその女の子といつも一緒に行動していて、一見仲が良いようにみられてましたが、実は私はその女の子から個人的にいじめられてました。その子が学校へ来なくなってから私は担任の先生に頼まれて、学校に行く前と、学校から帰ってきた後にその女の子の家へ毎日通って遊ぶという生活をしました。初めは穏やかだった女の子もだんだん私に意地悪をするようになりました。多分当たり前のように学校へ通っている私の事がうらやましかったんだと思います。今ではその女の子の気持ちがわかりますが、その時は分からなかったし、毎日いじめられに行っているようなものだったので辛かったです。最終的には私が辛い想いをしている事を先生にうち明けて、その子の家に通わなくていい事になりましたが、この出来事に私はとても傷つきました。その女の子は小五から学校に通えるようになりましたが、クラスのボス的存在になり、次々と集団でイジメをするようになりました。私もいじめられて、これは本当に辛かったです。この事があってから私は、いじめられないようにますます自分の気持ちより他人の気持ちを優先して行動するようになりました。不登校の子の家に毎日、クラスメイトが通うというのは問題があると思います。中学生の時も不登校の子はいました。たまたま同じ班の女の子だったため、友達数人と手紙を書いたりしました。でも私が不登校になって、実際に友達から手紙を受け取った時は、善意とわかっていてもとても辛かったです。今でも一番後悔している事が、中三の卒業式の当日の朝、クラスメイト数人と学校に来ない女の子に「一緒に卒業式に出ようよ。」と電話した事です。これも担任の先生に頼まれてやった事ですが、今考えるとすごく残酷な事をしてしまったと、ものすごく申し訳ないです。その女の子は卒業式も欠席でした。その当時は不登校の子の気持ちがわかりませんでしたが、自分が体験してやっとわかりました。
学校へ行かなくなってから、ものすごく辛くて色々考えて悩みました。いっぱい泣いていっぱい苦しみました。すごく大変な思いをしてきましたが、その大変な思いをした分、身についているんではないかと感じます。「心の豊かさ」とでも言うのでしょうか。勉強よりも大切な内面的な部分、人間性なんかは学校へ行かなくなってから沢山学べた気がします。人の温かさや、優しさ、何気ない言葉やちょっとした気遣いなんかですごく心があたたまるという事を身を持って学べました。人が怖くて外に出られなくなって、おびえていた私ですが、なんだかんだ言っても人が好きなんだと思います。
先日同級生が赤ちゃんを産みました。その赤ちゃんを抱かせてもらった時、ふと思いました。道は人それぞれ。同じ年でも早くに結婚してお母さんになる人もいれば、就職して働いている子もいるし、私のようなのもいる。みんなそれぞれの道を歩いているんだな…と感じました。考えてみれば人間なんてみんな違って当たり前。私のようなのも居ていいんだなと思います。最近想うのが、もしも私が学校に普通に通っていたら今通っているフリースクールで知り合った先生や友達、のぞみ学園で会った人や病院の先生や看護婦さん達に出会ったりする事はなかったんだろうな、という事です。そう考えるととても不思議な気がします。人と人とのつながりとは不思議なものです。
いろいろと悩みましたが“人生なるようにしかならないな…”というのが私の結論です。そう思いながらこれからも悩みながら生きていくんだと思います。
今はフリースクールに少し通って少し勉強しながら、少しバイトもしています。まだ勉強も思うようにできないので少しずつです。バイトはパン屋でやっています。バイト先に子供の時に私にとって嫌な思い出のある同級生や、その親がくるとドキッとしたりします。ささいな事にも動揺してしまったりもします。同級生の元気な子をみると落ち込んだりもします。こうやって色々思いながらも悩みながら生きていくんだと思います。
わたしの話を聞いてくれてありがとうございました。
2003年10月19日 サポートプラン上伊那フォーラムより
次の記事:こんにちは Penpen と言います。
前の記事:
Back to top

