大村洋一/NPO法人自然学校ふる里あったかとお 理事

最近「学童保育」(伊那市では学童クラブと呼ばれ、厚生労働省は放課後児童クラブと呼ぶこともある)についての本や資料を読み、講演会などに出席し、学び知る機会があった。親が勤めなどで家庭が留守となり、子どもたちの下校時から夕方にかけて、安心して仕事を続けられないといった事情から生まれたのが「学童保育」であると聞く。現在では「学童保育」の場は第二の家庭とも言われ、多くの子どもたちの生活の場として非常に大きなウエイトを占めている。

そんな講演を聞きながら、私は自分の小学校時代を思い出した。私の家庭は決して恵まれているわけではなかった。3軒長屋の真ん中で明かり取りの窓があるわけではなく、昼間でも部屋の中は日が差さず薄暗かったような記憶がある。しかし、学校から下校すると家にはたいてい母がいた。おそらく、昼間は勤めには出ないようにして和裁の内職をしていたのだと思う。早朝私が寝ている時間帯には「ヤクルトおばさん」をしていて、それを生活費の足しにしていたようだ。

私は母と交わした子どもの頃の会話をあまり覚えていない。口数少ない子どもであったのだろう。しかし、なぜかこの会話だけはよく覚えている。「お母さんがいるとおうちの中が明るくなったような気がするね。なぜかなぁ。」すると母が和裁をしている手を止めて、両手を広げるような動作を交えて「私からぱーと明かりがでているのよ」と、こんな意味の会話をしたような記憶がある。学校から帰り、だれもいない家に入ると暗く寂しい。しかし、家に母がいるとなぜか同じ家でも明るく感じた。

ここで私は母親が常日頃家にいるべきだと主張するつもりは無い。多様な時代には多様な親子の関係があると思う。しかし、「学童保育」に留守の時間を預けてすべてが済むのではない。その結果残された時間で親子の関係を深めていくための「苦労」をすることも大切だ。

子育てとは、親が子どもたちとの時間を豊かに築き、いっしょに汗水流しながら、ささやかな幸せを感じ、楽しく親も成長していくことだと思う。
今年も子どもたちにとって幸せや希望を感じられる年であることを願いたい。

2010年1月13日付け「読売新聞長野版コラム」より