その子の人生(我が子の手術の時)2009年01月17日
Category: 連載コラム
北澤 康吉/ロジャース流カウンセラー
下の息子は小3の時大きな手術をしました。某医大病院、夫婦で手術室の入り口まで送りました。そこからは私たちはシャットアウトでした。親と言えどもここから先は一歩も入れない、彼が一人で行く道、受ける運命でした。まだまだ幼い彼が一人で運命を受けることに、そしてそれに何もできない自分たちに改めて大きな衝撃を受けました。二十数年経った今でも思い出すたびに何とも言えない気持ちが込み上げてきます。
丁度良い日本語がないのです。仕方がないので乱暴だと思いながら使うのです。「我が子だって他人なんだ」と。
大事な大事な我が子の、しかもその一大事の時、「ここでこそ力を貸してあげたい」とき、親は何も出来ません。心の奥から吐き出される恐怖や不安がアトピーになって現れたり、不潔恐怖になったり、拒食・過食になったり。突然、噴き出るように恐怖や不安にとりつかれたり。「何とかしてあげたい」「半分でも代わって背負ってあげたい」・・・、切実にそう思われます。そう祈ります。しかし、それは出来ないことなのです。「我が子が背負うしかない」のです。
小さい時から、生まれた時から、お腹の中にいる時から、すでに我が子は独立した一個の生命体、一つの「人格」でした。尊重しつつ尊敬しつつ、我が子の苦しみに添っていくしかありません。登校拒否の時、引きこもりの時、「我が子なりに一つの人生を生きているのだ」と思って、せいぜい傍らにそっといることしか出来ません。せめて善意の邪魔だけはせずにいることしか出来ません。
しかし、それで良いのだと思います。親がス‐パ‐マンなら、親が神様のように全能なら、きっと何かが出来るのでしょう。そして、それはある価値観を伴って我が子の心の領域に踏み込むことになるのでしょう。親が我が子の一大事の時に全能ではないことは、実に安全なことなのです。
「無能・不甲斐なさ」をつくづく思い知らされながら生きていきましょう。しっかり、これでもかと言うほどに思い知らされながら、生きていきましょう。我が子と、我が子の後ろにあって彼らをしっかり支えてくれている「大きないのち」に心から祈り、ゆだねながら。
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丁度良い日本語がないのです。仕方がないので乱暴だと思いながら使うのです。「我が子だって他人なんだ」と。
大事な大事な我が子の、しかもその一大事の時、「ここでこそ力を貸してあげたい」とき、親は何も出来ません。心の奥から吐き出される恐怖や不安がアトピーになって現れたり、不潔恐怖になったり、拒食・過食になったり。突然、噴き出るように恐怖や不安にとりつかれたり。「何とかしてあげたい」「半分でも代わって背負ってあげたい」・・・、切実にそう思われます。そう祈ります。しかし、それは出来ないことなのです。「我が子が背負うしかない」のです。
小さい時から、生まれた時から、お腹の中にいる時から、すでに我が子は独立した一個の生命体、一つの「人格」でした。尊重しつつ尊敬しつつ、我が子の苦しみに添っていくしかありません。登校拒否の時、引きこもりの時、「我が子なりに一つの人生を生きているのだ」と思って、せいぜい傍らにそっといることしか出来ません。せめて善意の邪魔だけはせずにいることしか出来ません。
しかし、それで良いのだと思います。親がス‐パ‐マンなら、親が神様のように全能なら、きっと何かが出来るのでしょう。そして、それはある価値観を伴って我が子の心の領域に踏み込むことになるのでしょう。親が我が子の一大事の時に全能ではないことは、実に安全なことなのです。
「無能・不甲斐なさ」をつくづく思い知らされながら生きていきましょう。しっかり、これでもかと言うほどに思い知らされながら、生きていきましょう。我が子と、我が子の後ろにあって彼らをしっかり支えてくれている「大きないのち」に心から祈り、ゆだねながら。
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