中垣 寿彦 氏/MGR教育研究所 所長 心理カウンセラー

図講座の中で語られたお話のごく一部ですが、先生にご用意して頂いた資料を見ながらお話いただいた内容をご紹介いたします。

 子どもさんがエネルギーを落としている段階と回復の段階について、ある考え方をしてみました。両方に矢印があり、真ん中に矢印のない部分があります。その部分が、実は有名なマズローという心理学者の段階的な欲求のことが書いてあります。そこを真っ先に見てみますと、一番下に真っ先に満たされなければいけないのが「生理的欲求」。排泄したり、呼吸したりという、生きていく上でどうしても必要なところの欲求ですね。その上に「安全欲求」があります。食べるところが満たされていないと安全を無視してでもえさを捕りに出かけますね。動物なんか。だから、食べることがまず解決しますと、その次に欲しいものは安心していられるという欲求です。それが満たされると、さらに上の「所属」どこかの団体、どこかの家族に自分は入っていたいという集団欲求と一緒、それと、愛情の欲求。さらにその上には、人から尊重されたい、認められたいというという欲求を持つわけです。

 エネルギーを落としていく時に、下に向かっていく矢印を見て下さい。学校に行けなくなってくるというのは、図の1番上と2番目くらいのところで、学習や集団行動で何か嫌な事があったり、特に人間関係でいじめがあったりとか学習の問題で不愉快な思いをさせられたとか、いずれにしましても、不快な感情、人間関係のつまずきといったところから、エネルギーを落として、どうしても自分の殻に閉じこもるようになります。幼稚園や保育園なんかでもなかなか集団の中に入れない子がいると先生が引きずり出して集団の中に入れさせようとするようなところを見ると、私はとても悲しいですね。入っていけない子に無理矢理やらせるということはとてもつらいことです。そのとき、一見やってはいますけれど、それがどんなに心にいろいろな負担をかけているかということです。幼稚園に行くことが大事なのではなくて、心を傷つけないことの方が大事なんですけれど、幼稚園に行くことが大事なんだと錯覚をおこしてしまう。これが、常識的教育、常識的しつけですね。そのためにのちのちいろいろな形で心に傷が残ったら、それこそ悲しいことではないですか。そうではなくて、自分の殻に閉じこもるということは、傷つけられたくないから閉じこもるのであって、自己防衛的な大事な一つの方法なんです。だから、外に出て行っていじめられるんだったら、外に出ないで家にいることは大事なことなんですよ。それを引きずり出そうとするなど、外から働きかけようとするとますます閉じこもろうとする、それをさらに何とかしようと働きかけると、どんどんエネルギーを落として気力ややる気がなくなってくる。それをまた、外から「お前はやる気がないから、やる気を出せ」とかいろいろ働きかけると、きちんとした生活ができにくくなる。朝起きられないとか、パジャマに着替えられないとかといった状況になる。そうすると、またなんのかんのとそれを指導します。すると、子どもは、イライラや焦り、おどおどと不安を持つようになり、それに対して、また親が、「お前いつまでも何だ。しっかりしろ」というようなことを言いますと、親を嫌って、対人不信になってしまう。あるお子さんは、お父さんが帰ってくる車の音を聞いただけで部屋に駆け込んでしまうということがありました。子どもは、親が嫌なのではなくて、父ちゃんが父ちゃんでなくなってしまうことがつらいのです。そして、最終的には、わかってくれない、誰もいないといってエネルギーを落として失望し病気のような落ち込み状態になったり、反発して暴れたり、ということになります。

 では、どうやったら子どもが元気になるかといったら、図の右側の順序を辿って元気になっていきます。一番最初のところに「母子の愛着・全面的依存」とあります。これを一言で言うと「甘え」です。甘えは、エネルギーの補給なんです。中学・高校になった子どもがお母さんの後ろから負ぶさってきたりした時、うるさがって「もう大きくなったくせに」などと言って振り払ってしまうと、かわいそうなんです。エネルギーがもらえないんです。そのことを親が知っていれば、お母さんとの愛着、お父さんでもおばあちゃんでもいいんですけれども、全面的依存、つまり甘えがでてきます。必ず出てきます。その時、エネルギーを補給させてやれます。「自立しなさい」「自立しなさい」といっても自立というのは自分にエネルギーがないとできないことですよ。立ちなさいといってもエネルギーがなかったら立てないんです。エネルギーをもらって、親に対する安心と信頼が出来上がりますと、心が安定して思考力を回復します。

 小学校5年生の子が、学校へ行けなくなってとても辛い時期がありました。小さい弟と同じになってきました。それというのは、くたびれてくると年齢を下げてそこで安定しようとするわけです。そういうことを、わからないと、「お前はまるで弟と同じ小学校2年生みたいじゃないか」などとばかなことを言ってしまいそうになります。同い年の子と遊ばず、年下の子と遊ぶことで安定をするのです。そして、そこから本当に上がっていくわけです。図の下から1、2、3番目がとっても大事なんです。ここが充分にならないといつまでたっても、3日行っては、また休み、また3日行って休みというような、そういうことをして、学校へ行けばいいんじゃない、エネルギーが溜まればいいんです。学校へ行ったからいいんじゃないからくれぐれも間違わないようにして下さいね。「うちはお陰さまで3日学校へ行って5日休みながらですが学校へは行っています。」ということに私はなんとも言えない。エネルギーが溜まった時、行って、そして、疲れたら自分の意思で休んで、また、溜まったから行ってというのは、これは、結構。ですけれど、歯を食いしばって行って、エネルギーを使い果たしたために休んで、また一生懸命溜めて、また行って・・・それでは、賽の河原の石積みです。アルミ玉の1円を貯金箱に入れて貯まったといってみんな使ってしまって、また、1円玉を貯めて使うという繰り返しだとかわいそうですね。そういうのは、よく気をつけて見ていればわかりますからね。学校へ行くことがすばらしいことなんじゃない、学校へ行けるようになることがいいことなんです。行ってることがいいんじゃない。これをみんな間違えてしまうんですよね。学校へ行っているからうちの子はまだいいんだというように。さあ、どちらがいいのかというのは、その子をよく見ないと簡単に判断できません。当の本人のエネルギーがあるかどうかです。

講座風景 さて、この図の下から3番目までを、一言で言うと、この子の周囲に安心感があるか、私はこの家の中でお母さんや、お父さんや、おばあちゃんや、おじいちゃんから守られているか、家の中でも、あるいは、学校の担任の先生にでも、本当に信頼できる人がいるかどうか、「安心感・信頼感・保護感」という空気がその子を包んでいるかどうかが勝負。何かをしてやることじゃない。そうやって、エネルギーが出てきた証拠は、どうやったらわかるかというと「身辺の整理や自発的な行動」が少しずつ出てくるんです。自分のゴミ箱のようだった自分の部屋を片付けたり、その上、他の部屋も掃除したりなんてこともあります。そんなときは、「助かるわ。うれしいな。」と伝えてください。ただし、この「自発的行動」というのは、時には、わがままという形で「あれが欲しい。〜するからお金を出してくれ。」等々の表れ方をします。親はかなわないですけれどね、自発行動の表われだということがわかりますと納得できます。できたらきいてあげて下さい。「買ってやるから〜するんだよ。」とか「今度からは絶対〜だよ。」と条件付けたら、もうその自発的行動をつぶすことになる。やってしまうんですね。みんなこれを。経済観念が鈍くなるんじゃないかとか思ってね。エネルギーを落とした子どもにエネルギーをつけるときには、教育的観点は一切ゼロにして下さい。良かれと思うことはやらないで下さい。良かれと思うことの90%は害だというのが私の教育論です。エネルギーを落とした子どもですよ。エネルギーが通常以上にある時は、良かれと思ったことはやってあげていいのだけれどね。だから、良かれと思ってやってやりたいことは、本人に聞いてからにして下さい。「自発的行動」のあと徐々に「積極的行動」が現れ始め、自分の興味のあること、好きなことを見出して行動するようになります。やがて、「自分なりの主体的行動」をとるようになります。学校へ行く子は学校へ行くかもしれない。学校へ行かないで自分の道を行くかもしれない。何歳だっていいじゃないですか。それができるときにやらなきゃ。できない時にやらされると潰れる。できるときにそれをやると見えてくる。この図はそういうふうに見てください。次回の講座では子どもの心の声を聴くポイントをお話していきたいと思います。