北原学人さん/マン・ツー・マンの学習塾主宰

? 能動的な自立支援への取り組み

? 私の目指した自立支援とは
 そんなわけで「たけのこの会」の後の活動は、居場所から学習支援に移っていきました。
 不登校状態を、前段期、混乱期、安定期、動き出し期、解決期と5つの期間に分類すると、私が関わってきた子ども達は、そのほとんどが安定期から動き出し期にかけてではないかと思います。そして安定期に「俺は行かない」という主体的な登校拒否を経た子は、むしろ学習に対して、ものすごい集中力を発揮できるようになるのではないかと思われます。反対に、「行けない」ことを自分の中で肯定できないまま、混乱期を引きずるように、動き出している子はどうしてもそこまでのエネルギーが出てこないように思われます。私は、11年間で約20名程の不登校の子の学習支援に関わってきましたが、そのうちの3〜4名は、学校や中間教室に通 いながら塾に来ていて、まだ不安定な状態を残していました。
【Cさんの場合】
 そんな子の中にCさんがいました。Cさんは、中学3年の10月頃、中間教室の先生の紹介で、受験のために塾に入ってきました。しかも、塾に入ると同時に、学校にも戻された様子でした。高校に合格した後も登校できるようにとの先生達の配慮だったようでした。「しんどかったら自由に休んでいいよ」とは伝えてあったのですが、休み休みしながらも、頑張って塾に来ました。そして高校にも合格しました。しかし、合格後は全く高校に行けなくなってしまったようでした。受験が目前に迫った特殊な状況の中での短い期間ではあったのですが、もう少しなんとかできる方法はなかったのだろうかと、今でも悔やまれます。
【Dさんの場合】
 一方、しっかりひきこもりを経験して、比較的安定した子たちの場合はどうでしょうか。中学1年、2年と全く登校せずに過してきて、3年生になってから「高校へは行きたい」と思い立って勉強を始めたのがDさんでした。読書好きのDさんは、ほとんど自分で教科書を読みながら勉強を進めてきて、夏休みがすぎた頃、私に声をかけてきました。家が遠かったので1週間に2時間程度しか、教えてあげられませんでしたが、彼女一人ではどうしても勉強できなかった部分を集中的に教えることができました。学校へは冬頃からテストを受けにだけ行って自分の学力を測っていました。そして、12月にはまだ20点程しかとれなかった英語も、3月には60点近くとれるようになって、希望する高校になんと3番目の高得点で合格できたようでした。本当に不登校生の集中力には驚かされます。
【E君の場合】
 またE君には中学1年生の冬頃から教える様になりましたが、よく「勉強していないと、取り残されていくようで不安だから」といって勉強していました。しかし、1年くらい経つと、自分に学力がついてきたことを実感できるようになったためでしょうか、かなり意欲的に勉強するようになりました。そして、高校へ進学しても、学習意欲は全く衰えず、現役で国立大学の数学科に進学していきました。後でお母さんが手紙を下さって、それには、E君の勉強ぶりを「なぜあんなに勉強できるのだろう」と驚くほどだったと書かれていました。そして、進学先に数学科を選んだ理由は、以前、私から「数学のセンスがある」とほめられたことが、ずっと頭にあったようだと書かれていました。私には全く覚えのないことでした。それにしても、そのような私たちの何気ない一言が、子どもの人生を決めてしまうことがあるのだと思うと、気持ちが引き締まる思いがします。そして以前に、東京シューレの奥地先生が「不登校の子たちは、いつも必死な思いで何かを求めている。だから寿司屋へいくにも、最上級の寿司が食べられる所へ連れて行くのがよい。もしかしたら、その寿司を食べて寿司職人の道を選ぶようになるかもしれないから」とおっしゃっていたのを思い起こしました。
  本当に私たちの何気ない言動や何気ない出来事がその子の人生を建て上げていくかもしれないのです。そんな可能性をいつも不登校の子たちは秘めていると、言えるのではないでしょうか。
【F君の場合】
 もう一人、F君のこともお話させて頂きたいと思います。その子の家庭は、当時F君を含めて兄弟3人とも不登校の状態にありました。下の二人は比較的元気でしたが、長男のF君は、かなり長い間ひきこもりの状態が続いて、弟たちが高校へ進学した後で、F君の学習支援が始まりました。コンピューターに興味があるようで、難解で分厚いコンピューターの本を一生懸命読んでいて、時折解説してくれるのですけれども、私には全くチンプンカンプンでした。最初の学習支援は、中学校に全く行ってなかったので、中卒程度の基礎学力をつけたいということで始まりましたが、長続きはしませんでした。その後、勉強を中断して、アルバイトをしながら将来のことを考えたようでした。結局、通 信制の高校から工学系の大学を目指すことに決心がついて、再び学習支援が始まりました。通信制高校の4年生になって、もう私の支援の必要がなくなるまで、それは続きました。結局、関わった期間は6年間と長期に及びましたが、最も希望していた国立大学に、無事進学することができました。何年か回り道をして、社会に出るのは少し遅れたかもしれませんが、決してそれがマイナスになるとは思えません。自分が本当に求める道を手に入れるのには、誰もが多くの時間を費やすものです。それが小学校から中学校にかけての期間だったということだけなのです。そして6・3・3制の学校制度に縛られていない私たちだからこそ、そのような支援が可能になるのではないでしょうか。
 どんなに回り道をしても、時間がかかっても、また休みながらでも、その子にとって最善の道を自ら選びとり、歩み出していくことができるということを、ぜひ子どもたちに知ってもらいたいと思いますし、なんとかそれを保証してあげられるように努めていきたいと思います。