講座要約
連続講座 第4回『小さな塾の大きな夢』〜不登校生徒の学習支援のあり方を求めて〜【1】2004年02月24日
Category: 講座要約
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●居場所への取り組み
1.不登校問題に関わるきっかけ
私は、17年前から高遠でマンツーマンの学習塾をやっています。塾を始めて2年目くらいに、生徒の一人が「学校へ行きたくない」と相談をもちかけてき、どう対応したらいいのか、わからないで困っているときに、タイミングよく、ある不登校の子を持つお母さんに出会うことができました。そして、一緒に松本の親の会に連れて行ってもらったことが、この問題に関わるきっかけになりました。
松本の親の会で、初めてお母さんたちの話を聞いて、とても印象に残ったことがありました。それぞれのお母さんたちが、子どもと共に悩み、苦しみ、また周囲の無理解や専門家と呼ばれる人たちに振り回されて、さらに苦しんできました。しかし、お母さん自身の目でしっかりと子どもを見て、「何がよいのか悪いのか」を子ども自身から知ろうとした時から、何かが変わり始めたというのです。そしてたどり着いた結論は「子どもの苦しみの底に、お母さん自身が降りていって寄り添い、その苦しみを自分の心で感じ共有することだ」と、口々におっしゃっていたことが心に残りました。また、そのように語るお母さんたちにも、私は透明感のある美しさを強く感じたものでした。それはきっと苦しみを乗り越えて、子どもを真実に愛することを知った輝きではなかったかと思うのです。それで私は直感的に「ああ、この世界はニセ物ではない本物の世界だ」と思いました。その後一緒に行ったお母さんたちが中心になって、伊那にも親の会が出来ました。そして私もそこに参加させて頂くことになったのです。
? 居場所『たけのこの会』の限界
? ところで、伊那に親の会ができて、1年程した頃、ある講演会をきっかけにして、伊那にも子どもの居場所を作ってほしいという要望が出されました。そこで1週間に2回程、主に伊那公民館をお借りして、伊那たけのこの会という子どもの会を始めました。
3年間で小学生や中学生、合わせて10人くらいの子ども達が来てくれました。初めのうちは、ほとんど一対一の付き合いでしたが、二人三人と集まるようになるとスポーツをしたり、ゲームをしたり、楽しく運動することが多くなっていきました。この3年間の間に、お母さんたちからは「子どもがとても楽しみにしていて、おかげで子どもがとても元気になった」という声が沢山寄せられていました。しかし、私にはちょっと不満な所もあったのです。
一つには、A君のことがありました。ずいぶん長く「たけのこの会」に来ていたA君が、ある日、学校へ戻ろうとして、勉強を始めたのです。しかし、そのお手伝いに全く関わることができませんでした。あまり支援を必要としていなかったということもあるのですが、その子にとってどうも「たけのこの会」は遊ぶ会というイメージや意味付けがしっかりとなされていたようで、そこから先には関わらせてもらえなかった、ということもあったのです。しかし、わたしにとっては、遊びの場よりも、そのような自立の過程にこそ関わりたかったので、多少、歯がゆさが残りました。
もう一つには、B君の場合がありました。B君は反対にすっかり開き直ってしまっていました。ご家庭の方でも「もう、学校に行かなくてもいいし、勉強もする必要がない。学校へ行かなくても生きていける」と考えている様子でした。私は、それもちょっと違うんじゃないかと思いました。私は、学ぶことはすばらしいことであるし、とても大切なことだと思っています。それに、悩んだり苦しんだりすることにも、大きな意味があると思っています。だからこそ、そこで苦しむ子ども達に関わり、共に苦しみ、共に学び合いたいと思うのです。そして、悩みや苦しみに押しつぶされてしまわないように、子どもの心にしっかりと寄り添い、支えながら、共に歩み、むしろそれらの苦しみや悩みを通して、子どもの心が豊かに成長していけるように導いていくことが、私達の本当の仕事ではないかと思うのです。それが言い方を変えると、今回のサポートプランの言うところの、自立支援ということではないかと思うのです。
次の記事:連続講座 第4回『小さな塾の大きな夢』〜不登校生徒の学習支援のあり方を求めて〜【2】●居場所への取り組み
1.不登校問題に関わるきっかけ
私は、17年前から高遠でマンツーマンの学習塾をやっています。塾を始めて2年目くらいに、生徒の一人が「学校へ行きたくない」と相談をもちかけてき、どう対応したらいいのか、わからないで困っているときに、タイミングよく、ある不登校の子を持つお母さんに出会うことができました。そして、一緒に松本の親の会に連れて行ってもらったことが、この問題に関わるきっかけになりました。
松本の親の会で、初めてお母さんたちの話を聞いて、とても印象に残ったことがありました。それぞれのお母さんたちが、子どもと共に悩み、苦しみ、また周囲の無理解や専門家と呼ばれる人たちに振り回されて、さらに苦しんできました。しかし、お母さん自身の目でしっかりと子どもを見て、「何がよいのか悪いのか」を子ども自身から知ろうとした時から、何かが変わり始めたというのです。そしてたどり着いた結論は「子どもの苦しみの底に、お母さん自身が降りていって寄り添い、その苦しみを自分の心で感じ共有することだ」と、口々におっしゃっていたことが心に残りました。また、そのように語るお母さんたちにも、私は透明感のある美しさを強く感じたものでした。それはきっと苦しみを乗り越えて、子どもを真実に愛することを知った輝きではなかったかと思うのです。それで私は直感的に「ああ、この世界はニセ物ではない本物の世界だ」と思いました。その後一緒に行ったお母さんたちが中心になって、伊那にも親の会が出来ました。そして私もそこに参加させて頂くことになったのです。
? 居場所『たけのこの会』の限界
? ところで、伊那に親の会ができて、1年程した頃、ある講演会をきっかけにして、伊那にも子どもの居場所を作ってほしいという要望が出されました。そこで1週間に2回程、主に伊那公民館をお借りして、伊那たけのこの会という子どもの会を始めました。
3年間で小学生や中学生、合わせて10人くらいの子ども達が来てくれました。初めのうちは、ほとんど一対一の付き合いでしたが、二人三人と集まるようになるとスポーツをしたり、ゲームをしたり、楽しく運動することが多くなっていきました。この3年間の間に、お母さんたちからは「子どもがとても楽しみにしていて、おかげで子どもがとても元気になった」という声が沢山寄せられていました。しかし、私にはちょっと不満な所もあったのです。
一つには、A君のことがありました。ずいぶん長く「たけのこの会」に来ていたA君が、ある日、学校へ戻ろうとして、勉強を始めたのです。しかし、そのお手伝いに全く関わることができませんでした。あまり支援を必要としていなかったということもあるのですが、その子にとってどうも「たけのこの会」は遊ぶ会というイメージや意味付けがしっかりとなされていたようで、そこから先には関わらせてもらえなかった、ということもあったのです。しかし、わたしにとっては、遊びの場よりも、そのような自立の過程にこそ関わりたかったので、多少、歯がゆさが残りました。
もう一つには、B君の場合がありました。B君は反対にすっかり開き直ってしまっていました。ご家庭の方でも「もう、学校に行かなくてもいいし、勉強もする必要がない。学校へ行かなくても生きていける」と考えている様子でした。私は、それもちょっと違うんじゃないかと思いました。私は、学ぶことはすばらしいことであるし、とても大切なことだと思っています。それに、悩んだり苦しんだりすることにも、大きな意味があると思っています。だからこそ、そこで苦しむ子ども達に関わり、共に苦しみ、共に学び合いたいと思うのです。そして、悩みや苦しみに押しつぶされてしまわないように、子どもの心にしっかりと寄り添い、支えながら、共に歩み、むしろそれらの苦しみや悩みを通して、子どもの心が豊かに成長していけるように導いていくことが、私達の本当の仕事ではないかと思うのです。それが言い方を変えると、今回のサポートプランの言うところの、自立支援ということではないかと思うのです。
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