連載コラム
「眠り姫」ユミちゃんのこと2008年01月15日
Category: 連載コラム
北澤康吉/ロジャース流カウンセラー
私たちが出遇った記憶に残るユミちゃんが何人かおります。その一人、まる三日間目が覚めなかったユミちゃん。
20台の後半だったのですが、ほとんど高校生ぐらいの感じ、まさに少女の感じでした。目がパッチリしていて、いい人柄。真面目で思いやりがあって素敵な可愛い娘でした。その彼女が72時間寝続けたのです。たまたま出張で留守をしていて、帰ってきたらすでに三日間寝続けていたところでした。
今にして思えば一種の「うつ状態」の中で、こうしているのが「一番無理がなくて安全だったのだろう」と思います。この時はほとんどの諸君が強弱の差はあっても「うつ状態」になるのですが、その中に眠りに関わるいろいろな姿を現す人がおります。「不眠」もそうでしょう。なかなか眠れないのです。僕も若い頃この経験があるのですが、これはかなり辛いものです。
反対に「過眠症」とお医者さんに言われた人もおります。どうしても眠りが長くなってしまうのです。本当はあまり「症」を付けられると困るのです。どうやらその時はそうしている方がいいようなのです。心の何か大事な部分がそんな姿をとることによって却って安全に守られているように思えるのです。
ユミちゃんはうっすらと眠っておりました。声をかければ、あるいは軽く身体を揺すれば、それだけで目が覚めそうな感じなのです。しかし、そうやってみても起きないのです。何としても目が覚めないのです。もちろん「ふざけて」いるのでもないのです。普通の「睡眠」ではなさそうです。
ふと、「催眠状態と似ている」ように思われました。そこでその状態をそのまま催眠状態と置き換えて、催眠から目を開くというごく一般的な過程をたどってみました。「ユミちゃん、オレ北澤だけど、分かるかな。分かったらまぶたをパチパチっと合図してみて」。彼女はすぐ合図をくれました。目を閉じたまま、眠ったままで、です。
「今、君は春の野原にいる。とってもいい気持ち。風がそよそよと吹き、お日様がぽかぽかと射している。素敵な春の野原」。そんな感じで誘導していき(途中、省略)、最後に数を数えて覚醒したら見事に目を開きました。僕としても催眠誘導を覚えてまだ数年程の時で、学園の実際の場面でやったのは初めてでしたし、また見事にその通りになったので自分でも驚いたり、ホっとしたのでした。
「さあ、いい気持ちで目が開いた。10分程したら顔を洗って降りておいで。皆、待っているからね。おいしいご飯も出来ているよ」。後は皆で下の階に降りて待っていました。ユミちゃんは本当に10分程して何事もなかったかのようにいつもの顔で降りてきたのです。
これはこれで良かったのかも知れません。少なくとも「ひどくまずくはなかった」のかも知れません。
しかし、それから10年以上経った今日、「もうしばらくあのままにしてあげて良かったかなあ、あのままにしておいてもユミちゃんはひとりでに目を開いたなあ」と思っております。心の深い部分からの大事な現われの姿だったと思えるのです。それの方が何か安全で、安心で、心の精妙な働きがたまたまそうさせていたのではないか。
程よい「うつ」にいて、たまたまその「うつ」がこんな形で、「目が覚めない」という形で現れていたのだ。程よい「うつ」はそれはそれで大事なのだ。却って心を深いところで守ってくれている・・・そう思われたのでした。その心の流れに対して何か作為的なことを「わざわざ」してしまった・・・そんな思いが、かなり確かに、今、僕の気持ちの中にあるのです。
「うつ」。とても大変な場合はまず医療の助け、カウンセリングの助けがあっていいのです。ぜひ必要な場合も多いでしょう。しかし、軽い「うつ」状態、あるいはそれの形を変えた現れについては、「そのまま、しばらく、それを大事にしたい」。そんな気持ちが今の僕はしております。
次の記事:「友達は凶器だ」(Yちゃん)私たちが出遇った記憶に残るユミちゃんが何人かおります。その一人、まる三日間目が覚めなかったユミちゃん。
20台の後半だったのですが、ほとんど高校生ぐらいの感じ、まさに少女の感じでした。目がパッチリしていて、いい人柄。真面目で思いやりがあって素敵な可愛い娘でした。その彼女が72時間寝続けたのです。たまたま出張で留守をしていて、帰ってきたらすでに三日間寝続けていたところでした。
今にして思えば一種の「うつ状態」の中で、こうしているのが「一番無理がなくて安全だったのだろう」と思います。この時はほとんどの諸君が強弱の差はあっても「うつ状態」になるのですが、その中に眠りに関わるいろいろな姿を現す人がおります。「不眠」もそうでしょう。なかなか眠れないのです。僕も若い頃この経験があるのですが、これはかなり辛いものです。
反対に「過眠症」とお医者さんに言われた人もおります。どうしても眠りが長くなってしまうのです。本当はあまり「症」を付けられると困るのです。どうやらその時はそうしている方がいいようなのです。心の何か大事な部分がそんな姿をとることによって却って安全に守られているように思えるのです。
ユミちゃんはうっすらと眠っておりました。声をかければ、あるいは軽く身体を揺すれば、それだけで目が覚めそうな感じなのです。しかし、そうやってみても起きないのです。何としても目が覚めないのです。もちろん「ふざけて」いるのでもないのです。普通の「睡眠」ではなさそうです。
ふと、「催眠状態と似ている」ように思われました。そこでその状態をそのまま催眠状態と置き換えて、催眠から目を開くというごく一般的な過程をたどってみました。「ユミちゃん、オレ北澤だけど、分かるかな。分かったらまぶたをパチパチっと合図してみて」。彼女はすぐ合図をくれました。目を閉じたまま、眠ったままで、です。
「今、君は春の野原にいる。とってもいい気持ち。風がそよそよと吹き、お日様がぽかぽかと射している。素敵な春の野原」。そんな感じで誘導していき(途中、省略)、最後に数を数えて覚醒したら見事に目を開きました。僕としても催眠誘導を覚えてまだ数年程の時で、学園の実際の場面でやったのは初めてでしたし、また見事にその通りになったので自分でも驚いたり、ホっとしたのでした。
「さあ、いい気持ちで目が開いた。10分程したら顔を洗って降りておいで。皆、待っているからね。おいしいご飯も出来ているよ」。後は皆で下の階に降りて待っていました。ユミちゃんは本当に10分程して何事もなかったかのようにいつもの顔で降りてきたのです。
これはこれで良かったのかも知れません。少なくとも「ひどくまずくはなかった」のかも知れません。
しかし、それから10年以上経った今日、「もうしばらくあのままにしてあげて良かったかなあ、あのままにしておいてもユミちゃんはひとりでに目を開いたなあ」と思っております。心の深い部分からの大事な現われの姿だったと思えるのです。それの方が何か安全で、安心で、心の精妙な働きがたまたまそうさせていたのではないか。
程よい「うつ」にいて、たまたまその「うつ」がこんな形で、「目が覚めない」という形で現れていたのだ。程よい「うつ」はそれはそれで大事なのだ。却って心を深いところで守ってくれている・・・そう思われたのでした。その心の流れに対して何か作為的なことを「わざわざ」してしまった・・・そんな思いが、かなり確かに、今、僕の気持ちの中にあるのです。
「うつ」。とても大変な場合はまず医療の助け、カウンセリングの助けがあっていいのです。ぜひ必要な場合も多いでしょう。しかし、軽い「うつ」状態、あるいはそれの形を変えた現れについては、「そのまま、しばらく、それを大事にしたい」。そんな気持ちが今の僕はしております。
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