北澤 康吉/ロジャース流カウンセラー

 「生きる」とはどういうことなのでしょうか。「より良い人生」とはどういうものなのでしょうか。「人生の目的」とはいったい何なのでしょうか。私もかつて若い頃ひたすらそのことを考えていた時期があったのですが、いつの間にかいろいろに取り紛れて、あまりそのことを考えなくなっておりました。しかし、登校拒否の諸君に日常的に接するようになり、改めてそのことを考えさせられております。

 気がついたら生まれておりました。選択して生まれてきた訳ではありません。たまたまこの世に生を享(う)けておりました。生命を頂いておりました。ならば少しでも、「生きていて良かった」「この世に生まれて良かった」と思いながら、この世を一段落していきたいものです。

 登校拒否の諸君はよくその苦しい状態のさ中で、「普通になりたい」と言います。「普通」ということにかなり拘(こだ)わります。しかし、どこかでやはり「これでいいのか」「このままで終わりたくない」という気持ちもあるようです。率直に言って、諸君たちは少なくとも一旦「普通」のコースから外れました。しかし、「普通のコースから外れた」からこそ、かえって見えてくるものがあるようです。

 今まで走っていた高速道から外れてみると、小さな脇道がありました。草も生い茂っており、昔からあった一筋の懐かしい道もありました。タンポポもスミレもツクシンボも春を楽しんでおります。蝶がひらひら舞っております。素敵な秋もあります。赤いよだれ掛けをしたお地蔵さん。翅(はね)を休めているトンボ。虫の声、泉の音。夏には・・・・・。そして、冬には・・・・・。

 「こんな世界もあったのだ」と、すぐ横に最初からずっとあった景色に新鮮な驚きを感じております。「生きていくには歩く速度がちょうどいい」と言った先人がおります。歩きながら物思いにふけったり、詩が生まれたり。文学が生まれ、哲学が生まれたり。あるいは大発明、大発見のヒントに出遇ったり。

 皆が皆、ほとんど同じ速度で高速道を走り続ける必要もないのでしょう。走りっぱなしでいることもないのでしょう。離れてみれば、脇道に逸(そ)れてみれば、そこにも素敵な景色がありました。しみじみと続く道がありました。「もうこの道を行こう」、そう思う人もいるかも知れません。いずれまた高速道へ戻る人もいるでしょう。時々外れる、そしてそこでまた一息入れる、そんなふうにしていく人もいるかも知れません。

 きっと「いろいろでいい」のです。「いろいろあって、皆ないい」と、誰もが本当は思いながら、そう出来ないでいたのですが、外(はず)れてみれば、あっさりそれが出来ることにも気づきました。バブルも崩壊し、「右肩上がり神話」もメッキが剥(は)がれました。いい折です。いろいろな生き方が改めて出来るチャンスのようにも思われます。もちろん自分がその気にならなければなりませんが。

 「生きていてよかった」「こんな生き方もあったんだよな」といった感じで、いつかこの世を一段落できるようにしたいものです。人に出遇い(多い少ないもいろいろでいい)、いろいろな風景に出遇い。ちょっぴり「誰かの幸せの為に役立ったかな」という喜びも幾つかして。それできっと人生は充分なのです。生きる目的が果たせたのです。