連載コラム
【特別】眺望(展望)は霧の向うに2005年02月27日
Category: 連載コラム
北澤康吉/ロジャース流カウンセラー
2004年10月最後の土・日曜日、久し振りに「ながねっと」の懇親会が駒ヶ根で開かれました。いろいろな行事と重なって残念ながら出られなかった人も多いのですが、それでも10数名の方が県下各地から集りました。「登校拒否の諸君、そのOB・OG、そしてそのご家族や関係の人たち」です。とはいっても今回は大人の側の「おばさん」「おじさん」が大部分なのです。最初から多士済々で素敵なメンバーでした。古い馴染も新しい若者も誰もが互いに懐かしく、心許せる仲間で、楽しい宴となりました。ついでに一年近く前に突然「風の如く」いなくなった前教育次長杉本さんの歓送会も兼ねておりました。共に「子どもサポートプラン」を立ち上げた大事な戦友です。
翌日、皆さんを案内して近くの展望台に登りました。天気がよければそこからの中央アルプスの眺め、駒ヶ根一帯の眺めを満喫できる場所なのです。麓では天気は晴れてこそいませんでしたが、それなりの眺望でしたから、展望台に登ればさぞかし素敵な眺めだろうと思ったのです。ところが着いてみたら展望台はすっぽり霧の中。皆で一斉に息を吹いてみたのですが、そんなことではとても霧は晴れません。かすかにそのすき間から眺望のほんの一部が覗(のぞ)かれる程度です。しばらく待ってみましたが状況はほとんど変わりません。天気予報では午後にかけて晴れるということでしたので、もう1、2時間待てば確実に素晴らしい眺めになっていたことでしょう。
「はっ」と思い当ることがありました。人生もまた同じではないか、と。あるいは「人生」とまでは言わなくても、「子どもとのある時期のかかわり」、「登校拒否の時の親と本人」も同じではないか、と。
本当は目の前にかかっている霧に遮(さえぎ)られているだけ、実は素敵な眺望、展望が眼前にいっぱい広がっている。ただそれが目の前の霧で見えないだけ・・・、そんな風に思われました。通り過ぎれば、その時期が過ぎれば「真実の姿」も「見えて」きますし、「分る」ようにもなるのですが、その最中は仲々これが見えないのです。そして、見えなければ状況はつらく、苦しく、シンドイのです。
たまたまそんな状況の中に「ながねっと」の大事なお仲間といることが妙に象徴的で新鮮した。それぞれ、私を含めてその体験をしっかり経てきた仲間同士ですから。
帰りは途中で時々車を止め、沢の美味しい水を飲んだり、茸を採ったり、笑い声が飛び交ったり。そしてまた県下各地へ、それぞれの場所へ、皆さんニコニコと戻っていきました。
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翌日、皆さんを案内して近くの展望台に登りました。天気がよければそこからの中央アルプスの眺め、駒ヶ根一帯の眺めを満喫できる場所なのです。麓では天気は晴れてこそいませんでしたが、それなりの眺望でしたから、展望台に登ればさぞかし素敵な眺めだろうと思ったのです。ところが着いてみたら展望台はすっぽり霧の中。皆で一斉に息を吹いてみたのですが、そんなことではとても霧は晴れません。かすかにそのすき間から眺望のほんの一部が覗(のぞ)かれる程度です。しばらく待ってみましたが状況はほとんど変わりません。天気予報では午後にかけて晴れるということでしたので、もう1、2時間待てば確実に素晴らしい眺めになっていたことでしょう。
「はっ」と思い当ることがありました。人生もまた同じではないか、と。あるいは「人生」とまでは言わなくても、「子どもとのある時期のかかわり」、「登校拒否の時の親と本人」も同じではないか、と。
本当は目の前にかかっている霧に遮(さえぎ)られているだけ、実は素敵な眺望、展望が眼前にいっぱい広がっている。ただそれが目の前の霧で見えないだけ・・・、そんな風に思われました。通り過ぎれば、その時期が過ぎれば「真実の姿」も「見えて」きますし、「分る」ようにもなるのですが、その最中は仲々これが見えないのです。そして、見えなければ状況はつらく、苦しく、シンドイのです。
たまたまそんな状況の中に「ながねっと」の大事なお仲間といることが妙に象徴的で新鮮した。それぞれ、私を含めてその体験をしっかり経てきた仲間同士ですから。
帰りは途中で時々車を止め、沢の美味しい水を飲んだり、茸を採ったり、笑い声が飛び交ったり。そしてまた県下各地へ、それぞれの場所へ、皆さんニコニコと戻っていきました。
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