連載コラム
【特別】学校って。[学校の置かれている状況]2004年08月27日
Category: 連載コラム
北澤康吉/ロジャース流カウンセラー
次々と学校で問題が起こっております。長崎県での小学校6年生の女児による同じクラスの友達の殺害。その少し前には同じ長崎で中学生による幼児の殺害事件がありました。しかし、それもすでに短時間にして慌(あわただ)しい社会の流れの中に呑み込まれてしまいました。次々とびっくりするような事件が起きます。そしてその一つ一つは私たちがしっかり足を止めて充分考える間もなく、新たに起きる問題に押されてどんどん過去のものになっていきます。
校内暴力、校外での子供や若者たちのびっくりするような事件、そして引き続き多い登校拒否(不登校)、引きこもり。その一つ一つはほんの一部の特殊な誰かが起こしたこと、数からしても極めて微々たる稀な現象といったことでは済まされない状況になってきております。
学校の変化、変質もあるかも知れません。しかし、それ以上に学校を取り巻く状況が大きく変わってしまったのでしょう。しかも、それにとても対応しきれない状況が学校をいろいろな面で益々難しくしております。
二つのことが考えられます。一つは学校に対する社会の、あるいは時の為政者の要求が大きく変わってきたことです。もっともそのことはこの数年のことではなく、20数年、30数年かけての大きな流れで、誰もがよく知っている事実です。習得しなければならない内容が小学校の低学年からかなりの量と質で増えました。「全入」に近い高校進学、更に上級学校への進学率が年を追って増えました。
受験にからんで厳しい競争原理が導入されました。今でも「競争原理は教育に是非必要だ」と声高に叫んでいる知事もいるくらいです。
本来学校は「学ぶ喜び、知る喜び、創る喜び」をいっぱい経験する場所だと思います。それも自分一人だけではなく、「仲間と共に」経験する素敵な場所だと思います。質量とも過度の学習内容と受験がらみの競争原理の中で、その理想は無惨にも打ち砕かれ、すっかり現実のものでなくなってしまいました。すでに遠い遠い夢物語のような感じになってしまいました。「いじめ」の多発もこのことと深く関係していると思います。
第二は、子供や若者は当然のことながら社会の中に生き、その影響・流れ・流行の中で生きているということです。社会の中に生き、そこに対応・適応している子供や若者と、どこかで旧態依然たる面を持つ学校との間に大きな隔りが出来てしまいました。パソコンを操り、携帯電話でメ−ルのやりとりをする彼等、社会の流行・傾向などにもどんどん適応していく彼等と学校との間には埋めようのない隔差が出きてしまいました。
茶髪、ピアスのレベルでどんどん動いていく彼等と、スカ−トのすそ丈を生徒昇降口で物差しで測る学校とに象徴される大きな絶望的と言ってもいい隔たり。学校もゆっくりとは変化しているのですが、やはり一つの組織体として時間もかかり、うっかりすると保守的にならざるを得ないところがあるのです。子供、若者のスピ−ドにとても付いて行けない状況があるのです。
第一の状況の中から登校拒否の諸君が現れます。目一杯のところで過剰に適応するところからくるストレスによる登校拒否です。何とか適応しようとして、かなりの歳月の中でゆっくり登校拒否になる場合と、イジメ等により一晩で登校拒否になる場合があります。強弱の差はあっても、この諸君の中には共通して、苦しみ、悩み、葛藤があります。
第二の状況の中からも、いわゆる「積極的」な登校拒否が現れます。何とか学校に適応しようとして「苦しみの果てに」という感じではなく、何か「あっさり」と学校の方が見限られたような感じで現れる登校拒否です。
[学校の復権]
「学校の復権」といったことを僕はしきりに思うのです。僕自身は学校大好き人間、学校大事人間で育ちました。国民学校1年生で敗戦でした。戦地帰りのささくれ立った先生方が何人もおりました。彼らにもいろいろ大変な混乱があったことでしょう。昭和20年代が僕の小・中・そして高校生活の大部分です。その前半はいわゆる戦後の民主教育の風が爽やかに吹いた時代です。大事なものをいっぱい経験させてもらいました。いい先生に何人も出遇いました。混乱と貧困の時期だったとは言え、やはり教育にとって幸せな時代だったように思います。教育に夢がかけられる時代でした。医者になろうか宗教関係へ進もうか、報道関係に行こうか、あるいは水産、農業・・・、いろいろ考えたのですが、当時の僕にいちばん魅力的だったのは教職の仕事でした。僕の中には野口英世だとか松下村塾だとか教育の夢と重なる部分がいっぱい詰まっておりました。教職・学校に光り輝くものを感じておりました。26年間教職の道にいて、その後この仕事をしたいために辞めたのですが、教職が嫌になったからではありません。引き続き僕の心の中は今でも教員です。ただし、教職の仕事について僕の中でかつてのような魅力と光彩が薄らいできていたのも事実です。
平成元年より学校を離れて今の仕事をやっております。相変わらず学校は子供にとって若者にっとって家庭に匹敵する重要な場所だと僕は頑(かたく)なに思い込んでおります。学校は必ず復権すると思っております。子供や若者にとって学校は場合によっては家庭以上に安全・安心の場所です。「知る喜び、解る喜び、創る喜び」を仲間と一緒にいっぱい経験できる素敵な場所だと思っております。その喜びを充分経験しなければまともな大人になれないとさえ思っております。学校は再び(子どもにとっての)主役の座につかなければならないのです。
そのためには何が必要なのか。学校を復権させるカギは何なのか。それがそのままこの前半で述べた二つの状況の克服と重なります。
「知る喜び、わかる喜び、創る喜び」を保証するためには、ゆったりとした充分な時間の保証が必要です。競争原理とはおよそかけ離れたところに教育は立ち返らなければなりません。仲間と一緒にそれが出来る、本来学校とはそんな場所の筈です。人間のやることの中でも最も魅力的なことの出来る場所です。今日もいっぱいいろいろやった、明日もまたわくわくしながら出かけてこよう・・・学校はそんな場所です。
いろいろな規制も、次々と起きる問題の中で生じてきました。部活による引き締めもそうでしょう。校風・風紀の引き締めも同じでしょう。某県のある高校の話です。入れ物は全て学校指定の鞄と風呂敷のみ。その風呂敷の色も必ず紫。それ以外の入れ物も色も一切ダメ。そんな信じられないような決まりを学校が、というよりは時の校長が作りました。信じられないような規制です。規制自体も異常ですが、それに大人しく10代後半の若者たちが従っているとしたらそのことは更に問題です。教員集団も同じです。そら恐ろしささえ感じます。
若者はとりわけ時代の流れに敏感です。あらゆる年代の中でも一番敏感に一番率先していろいろを取り入れていく年齢層です。そんなことはそのまま彼等に任せておけばいいことです。学校はひたすら本来の目的のところで勝負していけばいいのだと僕は思います。
「開かれた学校」への努力が為されております。学校の運営に生徒を含めた三者会議、四者会議をする所が出てきております。未来につながる大事な動きです。登校拒否の理解についても「我々が拒否されたのだ」という反省に立たない限り、学校の新しい取り組みは始まりません。その認識に立てば必ず未来につながる素敵な展開が始るはずです。
フリースクール等新しい動きは次々と出てきますが、その中でいわゆる学校は充分に復権する余地を持っております。教育は金がかかるのです。本当の意味での「公教育」の存続は避けられないのです。僕はそのことに関してはかなり強い「こだわり」を持っております。
ただ、それはこれからのこと。10年くらいのスパンで展開していくことです。「すぐ間に合うように」というわけにはいきません。その間を一人のこぼれる諸君もなく通り過ぎなければならないのに、一体どのくらいの諸君を「こぼして」きたことでしょう。どうしても行けなくなった諸君には無理をさせない。それだけでいいのです。「学校否定」等といったコワイものではないのです。「そうなった諸君について、しばらくの間」でいいのです。
次の記事:家庭内暴力(行動に現れる:その2)次々と学校で問題が起こっております。長崎県での小学校6年生の女児による同じクラスの友達の殺害。その少し前には同じ長崎で中学生による幼児の殺害事件がありました。しかし、それもすでに短時間にして慌(あわただ)しい社会の流れの中に呑み込まれてしまいました。次々とびっくりするような事件が起きます。そしてその一つ一つは私たちがしっかり足を止めて充分考える間もなく、新たに起きる問題に押されてどんどん過去のものになっていきます。
校内暴力、校外での子供や若者たちのびっくりするような事件、そして引き続き多い登校拒否(不登校)、引きこもり。その一つ一つはほんの一部の特殊な誰かが起こしたこと、数からしても極めて微々たる稀な現象といったことでは済まされない状況になってきております。
学校の変化、変質もあるかも知れません。しかし、それ以上に学校を取り巻く状況が大きく変わってしまったのでしょう。しかも、それにとても対応しきれない状況が学校をいろいろな面で益々難しくしております。
二つのことが考えられます。一つは学校に対する社会の、あるいは時の為政者の要求が大きく変わってきたことです。もっともそのことはこの数年のことではなく、20数年、30数年かけての大きな流れで、誰もがよく知っている事実です。習得しなければならない内容が小学校の低学年からかなりの量と質で増えました。「全入」に近い高校進学、更に上級学校への進学率が年を追って増えました。
受験にからんで厳しい競争原理が導入されました。今でも「競争原理は教育に是非必要だ」と声高に叫んでいる知事もいるくらいです。
本来学校は「学ぶ喜び、知る喜び、創る喜び」をいっぱい経験する場所だと思います。それも自分一人だけではなく、「仲間と共に」経験する素敵な場所だと思います。質量とも過度の学習内容と受験がらみの競争原理の中で、その理想は無惨にも打ち砕かれ、すっかり現実のものでなくなってしまいました。すでに遠い遠い夢物語のような感じになってしまいました。「いじめ」の多発もこのことと深く関係していると思います。
第二は、子供や若者は当然のことながら社会の中に生き、その影響・流れ・流行の中で生きているということです。社会の中に生き、そこに対応・適応している子供や若者と、どこかで旧態依然たる面を持つ学校との間に大きな隔りが出来てしまいました。パソコンを操り、携帯電話でメ−ルのやりとりをする彼等、社会の流行・傾向などにもどんどん適応していく彼等と学校との間には埋めようのない隔差が出きてしまいました。
茶髪、ピアスのレベルでどんどん動いていく彼等と、スカ−トのすそ丈を生徒昇降口で物差しで測る学校とに象徴される大きな絶望的と言ってもいい隔たり。学校もゆっくりとは変化しているのですが、やはり一つの組織体として時間もかかり、うっかりすると保守的にならざるを得ないところがあるのです。子供、若者のスピ−ドにとても付いて行けない状況があるのです。
第一の状況の中から登校拒否の諸君が現れます。目一杯のところで過剰に適応するところからくるストレスによる登校拒否です。何とか適応しようとして、かなりの歳月の中でゆっくり登校拒否になる場合と、イジメ等により一晩で登校拒否になる場合があります。強弱の差はあっても、この諸君の中には共通して、苦しみ、悩み、葛藤があります。
第二の状況の中からも、いわゆる「積極的」な登校拒否が現れます。何とか学校に適応しようとして「苦しみの果てに」という感じではなく、何か「あっさり」と学校の方が見限られたような感じで現れる登校拒否です。
[学校の復権]
「学校の復権」といったことを僕はしきりに思うのです。僕自身は学校大好き人間、学校大事人間で育ちました。国民学校1年生で敗戦でした。戦地帰りのささくれ立った先生方が何人もおりました。彼らにもいろいろ大変な混乱があったことでしょう。昭和20年代が僕の小・中・そして高校生活の大部分です。その前半はいわゆる戦後の民主教育の風が爽やかに吹いた時代です。大事なものをいっぱい経験させてもらいました。いい先生に何人も出遇いました。混乱と貧困の時期だったとは言え、やはり教育にとって幸せな時代だったように思います。教育に夢がかけられる時代でした。医者になろうか宗教関係へ進もうか、報道関係に行こうか、あるいは水産、農業・・・、いろいろ考えたのですが、当時の僕にいちばん魅力的だったのは教職の仕事でした。僕の中には野口英世だとか松下村塾だとか教育の夢と重なる部分がいっぱい詰まっておりました。教職・学校に光り輝くものを感じておりました。26年間教職の道にいて、その後この仕事をしたいために辞めたのですが、教職が嫌になったからではありません。引き続き僕の心の中は今でも教員です。ただし、教職の仕事について僕の中でかつてのような魅力と光彩が薄らいできていたのも事実です。
平成元年より学校を離れて今の仕事をやっております。相変わらず学校は子供にとって若者にっとって家庭に匹敵する重要な場所だと僕は頑(かたく)なに思い込んでおります。学校は必ず復権すると思っております。子供や若者にとって学校は場合によっては家庭以上に安全・安心の場所です。「知る喜び、解る喜び、創る喜び」を仲間と一緒にいっぱい経験できる素敵な場所だと思っております。その喜びを充分経験しなければまともな大人になれないとさえ思っております。学校は再び(子どもにとっての)主役の座につかなければならないのです。
そのためには何が必要なのか。学校を復権させるカギは何なのか。それがそのままこの前半で述べた二つの状況の克服と重なります。
「知る喜び、わかる喜び、創る喜び」を保証するためには、ゆったりとした充分な時間の保証が必要です。競争原理とはおよそかけ離れたところに教育は立ち返らなければなりません。仲間と一緒にそれが出来る、本来学校とはそんな場所の筈です。人間のやることの中でも最も魅力的なことの出来る場所です。今日もいっぱいいろいろやった、明日もまたわくわくしながら出かけてこよう・・・学校はそんな場所です。
いろいろな規制も、次々と起きる問題の中で生じてきました。部活による引き締めもそうでしょう。校風・風紀の引き締めも同じでしょう。某県のある高校の話です。入れ物は全て学校指定の鞄と風呂敷のみ。その風呂敷の色も必ず紫。それ以外の入れ物も色も一切ダメ。そんな信じられないような決まりを学校が、というよりは時の校長が作りました。信じられないような規制です。規制自体も異常ですが、それに大人しく10代後半の若者たちが従っているとしたらそのことは更に問題です。教員集団も同じです。そら恐ろしささえ感じます。
若者はとりわけ時代の流れに敏感です。あらゆる年代の中でも一番敏感に一番率先していろいろを取り入れていく年齢層です。そんなことはそのまま彼等に任せておけばいいことです。学校はひたすら本来の目的のところで勝負していけばいいのだと僕は思います。
「開かれた学校」への努力が為されております。学校の運営に生徒を含めた三者会議、四者会議をする所が出てきております。未来につながる大事な動きです。登校拒否の理解についても「我々が拒否されたのだ」という反省に立たない限り、学校の新しい取り組みは始まりません。その認識に立てば必ず未来につながる素敵な展開が始るはずです。
フリースクール等新しい動きは次々と出てきますが、その中でいわゆる学校は充分に復権する余地を持っております。教育は金がかかるのです。本当の意味での「公教育」の存続は避けられないのです。僕はそのことに関してはかなり強い「こだわり」を持っております。
ただ、それはこれからのこと。10年くらいのスパンで展開していくことです。「すぐ間に合うように」というわけにはいきません。その間を一人のこぼれる諸君もなく通り過ぎなければならないのに、一体どのくらいの諸君を「こぼして」きたことでしょう。どうしても行けなくなった諸君には無理をさせない。それだけでいいのです。「学校否定」等といったコワイものではないのです。「そうなった諸君について、しばらくの間」でいいのです。
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