北澤康吉/ロジャース流カウンセラー

 「リストカット」、この呼び名が定着してしまいました。手首を切る、腕や身体のあちこちへ傷をつける。苦しいぎりぎりのところで諸君はこういった行為に及ぶことがあります。手首を切って自殺する。このことはずっと昔からありました。その点、「リストカット」は新しい言葉です。昔からあった「手首を切る」とはどこかがはっきり違います。

手首を切ったら、身体に傷をつけたら、「かえって落ち着いた」「ああ、自分にも温かい血が流れていたんだ」「何だか分らないけれど、ホッとした」と諸君は言います。もちろん、けっしていい加減な行為ではありません。苦しいぎりぎりのところで起こした行為です。

しかし、本当は「生きたい、生きたい」と切実に願うことの裏返しの行為のように僕には思えます。祈るような思いもこめて、「自傷行為をする人は死から遠いところにいる人だ」と思っております。「切実に生きたいと願っている人たちだ」と思っております。

家族はびっくりします。とりわけ最初は動顛(どうてん)します。しかし、いたずらに大騒ぎをしないことです。泣きの涙で説教・懇願をしないことです。かえって諸君を戸惑わせます。何か大きく違うのです。ズレているのです。取り乱さずに、どんな気持ちだったか、どんな思いだったか、しみじみと耳を傾けてみましょう。親子ともどもその行為の底に流れているものを辿(たど)ってみましょう。

表の自分はあるいは「死」のことも考えたかも知れません。しかし、その後ろにある自分は、より奥にある「いのち」と直結した自分は、「生きる」ということに意外にしっかりと根を下ろしてくれています。

 自傷行為は「いのち」の反応です。我が子の苦しみは苦しみとしてしっかり受け止めながらも、その後ろにある「大きないのち」に手を合わせ、それに親子ともどもゆだねる姿勢こそ大事だと思います。