大村 洋一/NPO法人自然学校ふる里あったかとお理事

 知人から相談を受けた。
彼女の子どもが学校で暴力を振るい、学校から数回呼び出しを受けたそうだ。私自身はその子と何度か会っているが、乱暴をするような粗野な子にはとても見えない。言葉少なく、大人しく見える子である。

 実は、私の息子も数年前に一度、級友に手をあげたことがある。夕方、担任の先生から電話がかかってきた。話を聞くと、給食の配膳の時、順番に並んでいた息子の前に「その彼」が割って入ったそうだ。息子はよほど腹に据えかねたのだろう。トレーを持ち上げ相手の頭を叩いたという。当った角度が悪く、軽傷ではあったがけがをさせてしまった。我々夫婦は担任に平謝りに謝り、すぐさま相手の自宅に行き、息子ともどもお詫びを述べた。理由はどうであれ、手を挙げたことは許されないと思うからだ。

 しかし、私は家に帰ってから息子をきつくしかる気にはなれなかった。非難は受けるだろうが、一度くらいなら手を挙げることがあっても、限度をわきまえた行為なら許されると思ったからだ。二度としなければいい。日頃は感情をあまり表面に出さない息子にこんな面もあったと、ひそかにうれしくさえ感じ、今回のことは認めてやろうとさえ思った。

 子どもは純粋でゆえに、感情のままストレートに残酷な行動を取ることもある。私も子どもの頃は、カエルや昆虫などに対して随分なことをした。大人たちの多くも身近な生き物の加害者だった経験があるだろう。むしろ、そうした体験から相手の痛みに気づき、より残酷な行為を踏みとどまることにつながるのだとも言われる。

 ここで私が気になるのは、他人に手を挙げてしまった子どもを往々にして周囲の大人たちが厳しくとがめ、非難することだ。そういう時こそ、親は、その行為へ注意をした上で、最終的にはわが子の理解者になってやるべきだ。
相談を持ちかけた彼女にも、子どもの行為を心配する以上に、親として子への理解をどのように深めようとしているか、私には気になった。