リレーコラム
モンスターを作り出すのは誰?2008年03月28日
Category: リレーコラム
宮島百合/読者からの投稿
モンスター。怪物、化け物のことだ。「モンスターペアレント」と呼ばれる人たちがいる。怪物親ということだろうか。
この語を最初に耳にしたのは、去年の夏だった。「学校や園などに理不尽な要求をしてくる親」を、誰かがこう名づけたらしい。「理不尽な要求」とは、例えば「あの担任は○○だから変えて欲しい」「××ちゃんはアルバムに3回写っているのに、うちの子はなぜ2回なのかしら、何とかして欲しい」「うちの子を△△ちゃんと遊ばせないで/同じ班にしないで欲しい」というようなことらしい。こういったことを言ってくる親に悩まされる教員のため、ある自治体では法律家と連携をとることにした、というニュースさえ流れたと記憶している。
私はこの話を聞いた時「はは~ん、これって『オレ様化した子どもたち』が『オレ様化した親たち』になったってことね」と思い、一人納得していた。『オレ様化した子どもたち』とは諏訪哲二氏の本の題名だ。自己正当化のため客観的事実までねじまげてしまう子どもたちの言動を分析した本だった。この親たち(私と同世代だが)も、我が子かわいさに、むちゃくちゃな要求を学校に言っているのだと思えた。
しかし、教育研究者・本田由紀氏のインタビューを読んで、考えが変わった。
今、次々にある一定の集団が社会から攻撃され
憎悪があおられている。『ダメ公務員』の次は
『不適格教員』。今年に入ってからは教員に無
理難題を言う『モンスターペアレント』。こん
な言葉で誰が得をするのか。・・・・《後略》
《ふぇみん2007年8月5日号》
他者を「モンスター」と呼んだとたん「あいつらはオレたちとは違う」「人間じゃない(から、人間扱いしなくていい)」と差別、憎悪、排除が始まる・・・といえないだろうか。少なくとも「モンスター」という呼称からは「理解したい」「わかり合いたい」という心情は全くうかがえない。彼ら親たちは、何故そんな要求を出してくれるのか。私は、これらの要求の奥に「不安」が潜んでいるのを感じる。「私はちゃんと扱ってもらっているのだろうか」「私の子どもは、認められ大切に接してもらえているのだろうか」という、自己の存在価値への不安だ。不安は放っておくと、どんどん膨らんでいく(そう、まるで「モンスター」のように)。この不安を静めてもらいたい。誰か私(と私の子ども)を認めて!という叫びが隠されている気がして仕方がない。
ではどうすればいいのか。
不安がっている人には、まず安心してもらうこと。それには寄り添って、相手の話に黙って耳を傾け、その人自身の中の「不安」や「怒り」、そして自身の持っている「生きる力」や「自信」に気づいていってもらう。というやり方しかない気がする。
突然「問題化」された「モンスターペアレント」問題。ダメな親が多い、そして増えている。「だから国が親を指導・教育・監督しなくては」という教育再生会議の「家庭教育」重視の答申と、この流れは繋がっているのではないかと思う。
ダメな親はいる。何を隠そう私もその1人だ。でもだからって「モンスター」って言うな。(注:「ニートって言うな。」にかけてます。)国にもあれこれ言われたくない。私たちは私たち自身の力で変わっていくことができる。そうありたい。そして本当の「モンスター」はどこに潜んでいるのかは、しっかりと見極める必要があると思う。
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この語を最初に耳にしたのは、去年の夏だった。「学校や園などに理不尽な要求をしてくる親」を、誰かがこう名づけたらしい。「理不尽な要求」とは、例えば「あの担任は○○だから変えて欲しい」「××ちゃんはアルバムに3回写っているのに、うちの子はなぜ2回なのかしら、何とかして欲しい」「うちの子を△△ちゃんと遊ばせないで/同じ班にしないで欲しい」というようなことらしい。こういったことを言ってくる親に悩まされる教員のため、ある自治体では法律家と連携をとることにした、というニュースさえ流れたと記憶している。
私はこの話を聞いた時「はは~ん、これって『オレ様化した子どもたち』が『オレ様化した親たち』になったってことね」と思い、一人納得していた。『オレ様化した子どもたち』とは諏訪哲二氏の本の題名だ。自己正当化のため客観的事実までねじまげてしまう子どもたちの言動を分析した本だった。この親たち(私と同世代だが)も、我が子かわいさに、むちゃくちゃな要求を学校に言っているのだと思えた。
しかし、教育研究者・本田由紀氏のインタビューを読んで、考えが変わった。
今、次々にある一定の集団が社会から攻撃され
憎悪があおられている。『ダメ公務員』の次は
『不適格教員』。今年に入ってからは教員に無
理難題を言う『モンスターペアレント』。こん
な言葉で誰が得をするのか。・・・・《後略》
《ふぇみん2007年8月5日号》
他者を「モンスター」と呼んだとたん「あいつらはオレたちとは違う」「人間じゃない(から、人間扱いしなくていい)」と差別、憎悪、排除が始まる・・・といえないだろうか。少なくとも「モンスター」という呼称からは「理解したい」「わかり合いたい」という心情は全くうかがえない。彼ら親たちは、何故そんな要求を出してくれるのか。私は、これらの要求の奥に「不安」が潜んでいるのを感じる。「私はちゃんと扱ってもらっているのだろうか」「私の子どもは、認められ大切に接してもらえているのだろうか」という、自己の存在価値への不安だ。不安は放っておくと、どんどん膨らんでいく(そう、まるで「モンスター」のように)。この不安を静めてもらいたい。誰か私(と私の子ども)を認めて!という叫びが隠されている気がして仕方がない。
ではどうすればいいのか。
不安がっている人には、まず安心してもらうこと。それには寄り添って、相手の話に黙って耳を傾け、その人自身の中の「不安」や「怒り」、そして自身の持っている「生きる力」や「自信」に気づいていってもらう。というやり方しかない気がする。
突然「問題化」された「モンスターペアレント」問題。ダメな親が多い、そして増えている。「だから国が親を指導・教育・監督しなくては」という教育再生会議の「家庭教育」重視の答申と、この流れは繋がっているのではないかと思う。
ダメな親はいる。何を隠そう私もその1人だ。でもだからって「モンスター」って言うな。(注:「ニートって言うな。」にかけてます。)国にもあれこれ言われたくない。私たちは私たち自身の力で変わっていくことができる。そうありたい。そして本当の「モンスター」はどこに潜んでいるのかは、しっかりと見極める必要があると思う。
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